BUDDiiSのリーダー・FUMINORIとして活躍している小川史記さん。
「高校はどこだったの?」「伊奈学園総合高校って本当?」と気になっている人もいるのではないでしょうか。
小川史記さんについて調べると、ネット上では埼玉県立伊奈学園総合高校出身と紹介している記事が複数あります。
一方、本人や所属事務所から具体的な高校名は公表されていません。スターダストプロモーションの公式プロフィールでも、確認できるのは埼玉県出身までです。
ただ、高校時代については本人が詳しく語っています。
高校2年生の冬から高校3年生になる頃に、幼なじみ・佐藤大樹さんのダンスを見たことをきっかけに自身もダンスを始め、その後は文化祭のステージにも出演していました。
この記事では、小川史記さんの出身高校や伊奈学園総合高校説の根拠を調査しました。
あわせて、佐藤大樹さんとの関係や高校時代のアルバイト、高3の文化祭で披露したダンスについても紹介していきます。
小川史記の高校はどこ?伊奈学園総合高校説を調査
結論からいうと、小川史記さんの出身高校名は本人や所属事務所から正式には公表されていません。
スターダストプロモーションの公式プロフィールには、生年月日や埼玉県出身であることなどは掲載されていますが、出身高校の記載はありません。
一方、ネット上では埼玉県立伊奈学園総合高校出身ではないかという情報が広まっています。
伊奈学園総合高校といわれる理由
小川史記さんを伊奈学園総合高校出身として紹介している学歴系サイトでは、理由としてネット上に複数の在籍情報があることや、幼なじみの佐藤大樹さんとの関係を挙げています。
ただし、これはあくまで二次情報です。
今回確認した本人インタビューや所属事務所の公式プロフィールでは、小川史記さん本人が**「伊奈学園総合高校に通っていた」**と明言した情報は確認できませんでした。
そのため、
- 伊奈学園総合高校出身とする情報はネット上にある
- 本人・所属事務所から高校名は公表されていない
と分けて考えるのが正確でしょう。
佐藤大樹と同じ高校だった?
伊奈学園説とあわせて、「佐藤大樹さんと高校まで同じだった」と紹介されることもあります。
しかし、佐藤大樹さん本人がインタビューで明かしているのは、埼玉にいた頃に小川史記さんと同じ小学校・中学校へ通い、同じマンションに住んでいたことです。
高校まで同じだったとは、この本人インタビューでは話していません。
そのため、「佐藤大樹さんと幼なじみだから高校も同じ」という理由だけで伊奈学園総合高校と断定することはできないでしょう。
小川史記と佐藤大樹は小中学校からの幼なじみ
小川史記さんとEXILE・FANTASTICSの佐藤大樹さんは、学生時代からの幼なじみです。
佐藤大樹さんは、小川史記さんについて同じ小学校・中学校に通い、同じマンションに住んでいた大親友だと明かしています。
現在も一緒に食事をしたり、悩みを相談し合ったりする関係が続いているそうです。
高2の冬に佐藤大樹のダンスを見て転機
小川史記さんがダンスを始めるきっかけになったのも、佐藤大樹さんでした。
本人によると、高校2年生の冬、年が明けた2月ごろの高3になる前に、佐藤大樹さんから誘われてダンスを見に行ったそうです。
そこでステージ上の佐藤大樹さんが大きな声援を浴びている姿を見て、自分もダンスを始めようと思ったと振り返っています。
もともと小川史記さんは、幼い頃から芸能界を目指していたわけではありません。
それまでは芸能界への憧れもなく、ダンスもしていなかったそうです。
幼なじみのステージを見たことが、現在につながる大きな転機になったんですね。
小川史記の高校時代はどんな学生だった?
小川史記さんは高校時代について、現在とあまり変わらず、人を笑わせることが好きで元気なタイプだったと振り返っています。
高校時代は無遅刻無欠席
小川史記さんは、高校時代は無遅刻無欠席だったことを明かしています。
同級生同士も仲が良く、学校生活を楽しく過ごしていたようです。
現在の明るいキャラクターは、高校生の頃からあまり変わっていないのかもしれませんね。
高校1年生からアルバイト
高校時代に熱中していたこととして、小川史記さんが挙げているのがアルバイトです。
高校1年生になってすぐに働き始め、最初は薬局、その後はスーパーの鮮魚や精肉売り場などの清掃も経験したそうです。
初めて自分でお金を稼げることが楽しく、アルバイトに熱中していたと振り返っています。
もともとの進路希望は「就職」
小川史記さんは、高校生になるまで明確な夢がなかったことも明かしています。
進路調査票には、深く考えず**「就職」**と書いていたそうです。
しかし、高校3年生になる頃にダンスと出会ったことで状況が変化。
その後はダンスを続けるためにアルバイトをしながら活動するようになりました。
高校生活の終盤に、将来の方向性が大きく変わったことが分かります。
小川史記は高3でダンスを始め文化祭へ
小川史記さんは、高校2年生の冬から高校3年生になる頃にダンスを始めました。
インタビューによって「高2の冬」「高3でダンスを始めた」と表現に少し違いがありますが、高2の終わりから高3になる頃に始めたと捉えるのが自然でしょう。
ダンス開始から約3か月で文化祭に出演
小川史記さんは、ダンスを始めて約3か月で高校の文化祭ステージに出演しています。
ダンス経験の長い友人と一緒にステージへ立ったそうです。
しかも、学校では自分がダンスを始めたことを周囲にあまり知らせていませんでした。
そのため、文化祭で突然踊る姿を見せたことで、同級生からかなり驚かれたようです。
文化祭では大きな声援
文化祭のステージでは、かなり大きな反響があったそうです。
本人は、ステージで大きな声援を受け、終了後にも同級生から**「かっこよかった」「踊れたの?」**という趣旨の声をかけられたと振り返っています。
そもそもダンスを始めたきっかけは、佐藤大樹さんがステージで声援を浴びる姿を見たことでした。
それからわずか数か月後には、自分自身が文化祭で声援を受ける側になっていたことになります。
現在BUDDiiSでステージに立つ小川史記さんにとって、高校の文化祭は初期の印象的なダンス経験だったといえそうですね。
小川史記は高校卒業後に大学へ進学した?
ネット上では、小川史記さんについて**「大学には進学していない」**と紹介している記事があります。
ただし、今回確認した本人インタビューや所属事務所の公式プロフィールでは、大学へ進学した・していないと明言した情報は確認できませんでした。
そのため、大学進学については断定を避けた方がよさそうです。
高校時代の進路希望は就職だった
前述したように、小川史記さん本人は高校時代について、もともと夢がなく、進路調査票には就職と書いていたと話しています。
しかし、高3でダンスに出会ったことをきっかけに、その後の進路が変わっていきました。
この発言から当初は大学進学を考えていなかった可能性はありますが、それだけで実際に大学へ進学しなかったと断定することはできません。
18歳頃にはEXPGで本格的にダンス
小川史記さんがEXPGでダンスを学んでいたことは、本人の発言から確認できます。
本人は18歳でEXPGに入ったことを振り返っています。
小川史記さんは1994年11月21日生まれのため、18歳という時期は高校3年生の途中から高校卒業後までを含みます。
そのため、「高校卒業後にEXPGへ入った」と単純に断定するのも避けた方がよいでしょう。
EXPG加入後はバックダンサーも経験
小川史記さんは、EXPGに入って約1年後には、EXILEや三代目 J SOUL BROTHERSのツアーでバックダンサーを経験するようになったと振り返っています。
高校時代にダンスを始めてから、比較的短い期間で大きなステージに立つようになったことが分かります。
確認できる流れとしては、
高2の冬〜高3になる頃にダンスを始める
→ 高3で文化祭のステージに出演
→ 18歳頃にEXPGで本格的にダンスを学ぶ
→ 約1年後にはバックダンサーとしてツアーを経験
となります。
高校生活の終盤に始めたダンスが、その後の人生を大きく変えていったんですね。
まとめ|小川史記の高校は伊奈学園説!高3でダンスを経験
今回は、小川史記さんの出身高校や伊奈学園総合高校説、高校時代について調査しました。
分かったことをまとめると、以下のとおりです。
- 出身高校名は本人・所属事務所から公表されていない
- ネット上では埼玉県立伊奈学園総合高校説がある
- 伊奈学園総合高校出身と確認できる一次情報は見つかっていない
- 佐藤大樹さんとは同じ小学校・中学校に通っていた
- 佐藤大樹さんと同じ高校だったかは確認できない
- 高校時代は無遅刻無欠席だった
- 高校1年生からアルバイトをしていた
- もともと進路調査票には「就職」と書いていた
- 高2の冬から高3になる頃、佐藤大樹さんをきっかけにダンスを始めた
- ダンス開始から約3か月後に文化祭のステージへ出演した
- 18歳頃にはEXPGで本格的にダンスを学んでいた
- EXPG加入から約1年後にはバックダンサーを経験した
- 大学進学の有無を確認できる一次情報は見つかっていない
小川史記さんの出身高校は、ネット上では伊奈学園総合高校説が広く知られていますが、本人や所属事務所から正式に学校名が公表されているわけではありません。
一方、高校生活については本人の発言からかなり詳しく分かっています。
特に、高2の冬から高3になる頃に幼なじみ・佐藤大樹さんの影響でダンスを始め、わずか数か月後には文化祭のステージで大きな声援を浴びたという経験は、その後の人生につながる大きな転機だったようですね。